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2010年07月09日 Archive

孤高の道しるべ

  • Posted by: Hachiro
  • 2010-07-09 Fri 20:33:35
  • 穂高
「……無垢の爾(なんじ)を、自分は絶愛する!」
今から七五年ほど前(※1)、名峰奥穂高岳の絶頂に立って、穂高の峰々に向かってこう熱く呼びかけたひとりの日本人登山家があった。


こんな書き出しではじまる一冊の本があります。
その本「孤高の道しるべ」(銀河書房)は、明治末期に穂高連峰の開拓探求に情熱を傾け、“幻の登山家”ともいわれた「鵜殿正雄」について記したものです。
(この本はもう絶版となっていますが、古本として入手は可能なようです。また穂高小屋の図書室にもあります。出版は1983年ですので(※1)は現在では「100年ほど前」ということになります)

鵜殿正雄は、まず明治三八年(1905)九月、現在の前穂高岳に挑み、日本人の登山者としては初登頂という快挙を記録します。ついで明治四十二年(1909)八月、名山案内人といわれた上条嘉門次とともに「穂高岳~槍ヶ岳間初縦走」をみごと成功させ、さらには大正元年(1912)八月、まだ残されていた「奥穂高~西穂高間の初縦走」をも完成させました。

こうして有史以来ながらく登山者を拒み、その美しい威容はまったく未知の世界としてとどまっていた穂高に、ようやく登山者としての足跡が印されたのです。

鵜殿正雄はまた、それらの探求をすぐれた紀行文として残しています。
彼の記した「穂高岳槍ヶ岳縦走記」は、克明かつ科学的であり、記録性の高い秀逸なものでした。
そのなかで鵜殿は穂高の各峰に「南穂高岳」(現在の前穂高岳)、「奥穂高岳」、「北穂高岳」(現在の涸沢岳)、「東穂高岳」(現在の北穂高岳)と命名しています。
また現在、奥穂山頂から白出のコルへむかう下降地点に通称「間違い尾根」と読んでいる小尾根がありますが、この初縦走時に名案内人の嘉門次を擁する鵜殿たちが誤ってこの尾根に踏み込み、引き返したという記述があったりもして、なんとまあ “由緒正しい” 間違い道であったのだと知らされたりもします。
この鵜殿の紀行文は、100年後の今につながるエピソードが随所に見られ感心させられます。

そして当然のことながら、この時代にはハシゴや鎖はもちろんマーキングもなかった…いや登山道そのものがなかった訳で、すべてのルートが今で言う“バリエーションルート”であり、その情報もほとんどない全く未知の岩稜を彼等はたどっていったのです。

…むちゃくちゃ面白かったんやろうなぁ。

きっと次から次へと現れる穂高の難所に出くわす度「ここを如何にして通過すべしや?」という思いで、血湧き肉躍ったに違いない。
そして彼等の眼前に広がった何の予備知識もない穂高の大景観に、心の底から魂が打ち震えていることが鵜殿の文章からは伝わってきます。

残念ながらフロンティアとしての穂高は現代には存在せず、
鵜殿正雄が抱いたであろう「無垢な感動」は我々はもう持ち得ないのかもしれません。


それでも、今でも穂高は人の心を動かす何ものかを持ち続けているし、
こんな風景に出会うと「なんかおれも穂高に “絶愛” しとるのかもしれへん…」と思うのです。






















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